第117回 賃上げは「従業員との協働」によって実現できる?!

中小企業経営

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かんれき財務経営研究所の雄蕊覚蔵です。

 

最低賃金は1000円を超えたけれど・・・
今年度の最低賃金について、全国平均の時給で41円引き上げ、時給1002円となり、初めて1000円を超えました。しかし、時給1000円で賃金の低い労働者の暮らしが良くなるか、経済の健全な発展に寄与するかと言えば、そこは大いに疑問が残ります。
例えば、時給1000円で1日8時間、月22日働いたとして、月額賃金は176000円、手取額では140000円ほどにしかなりません。それに賞与が3カ月分あったとしても年収ベースで265万円程度と300万円にも満たないのが現実です。

また、企業側からすれば「従業員の待遇改善はよいことだが、経営が厳しく人件費を抑えざるを得ないところもある。企業が賃上げをしやすくなるためには経済全体が上向く必要もあるのではないか」がホンネだと思います。
数年前に最低賃金の引き上げに併せて、最低賃金に満たない従業員の給与だけの引き上げを行ったことがありました。最低賃金がどうなろうが、企業経営の現場では「振りたくても無い袖は振れない」ので、違反にならない必要最低限の対応しかできなかったのです。
2023年上半期(1-6月)の倒産原因をみると、前年同期では発生がなかった「人件費高騰」が急増しており、賃上げ機運が高まる一方で、収益力が乏しい中小企業には、人件費アップが資金繰りに大きな負担となっているという事実もあります。

経営者の賃上げに対するホンキ度は
今年2月に日本商工会議所・東京商工会議所が全国の中小企業6000社余りを対象にアンケート調査を行い、3300社余りから得た回答では、今年度(2023年度)の賃金引き上げについて「引き上げるべき」と答えた企業が42.4%、「引き下げるべき」「引き上げはせずに、現状の金額を維持すべき」と応えた企業の33.7%でした。また「引き上げるべき」と答えた企業に理由を聞くと「物価が上っており、引き上げはやむを得ない」という回答が90%近くに上っていました。これ以外にも深刻な人手不足もあり、賃金を上げていかないと人材が集まらず経営が成り立たないとい声も聞こえてきます。中小や零細企業からするといわば「防衛的な賃上げ」という指摘もあり、高い金額の引き上げは難しいと見られます。残念ながら、経営者は賃上げに対して消極的だと言わざるを得ない結果だといえます。

商工団体トップのコメント
「日本商工会議所」の小林会頭のコメントの一部を転載します。
「支払い能力の面では原材料費やエネルギー価格の高騰により厳しい状況にある中小企業も多く、今回の引き上げ分も含め、労務費の価格転嫁の一層の推進が極めて重要だ。政府には中小企業の自発的かつ持続的な賃上げの実現に向け、価格転嫁の商習慣化に向けた取り組みと企業の生産性向上の支援をより強力に進めてほしい」

保健医療機関や介護施設の価格転嫁は
人件費の増加分を価格転嫁でという議論がなされていますが、診療報酬や介護報酬といった価格が国の統制下に置かれている保健医療機関や介護施設では、価格転嫁をどう進めていけば良いのでしょうか。
2024年度は、診療報酬と介護報酬の同時改定の年になります。この改定で人件費増額のための価格転嫁が、改定内容にどう盛り込まれるのか注目です。
もし、膨らみ続ける社会保障費を賄うために増税といった議論がセットで起こるのであれば、それは本末転倒になってしまいます。企業努力により、いくら人件費を引き上げても、一方で、増税等による国民負担が増え続ければ、実質的な賃上げの実現は絵空事に終わってしまいます。

飲食業界から影響を懸念する声
飲食業界からは、原材料価格等が高騰する中で経営への影響を懸念する声が上がっています。「最低賃金が上がったからといって、店舗や企業は商品の価格をすぐに値上げすることはできない。経費を削減する努力はするが、小規模事業者に対する支援も考えてほしい」と、これ以上の価格転嫁は難しく、さらに厳しい経営を迫られるとしています。

 

賃上げできる内部環境作り
最低賃金は、目標の1000円を超える結果となったものの、ここに記載した様々な団体や業界からの声を聞く限りでは、それを引き金に大幅な賃上げに踏み切るには、まだまだ越えなければならない高いハードルがいくつもあるのが実情です。
従業員の賃金は経営者が決めることです。しかし、こうした賃上げのハードルが高い経済環境のなかで賃上げができる内部環境の整備には、従業員の協力も不可欠だと思います。
少しバイアスのかかった考え方かもしれませんが、賃上げを実現するためには、まず組織が安定することが大切だと思います。それは従業員の入退職をできる限り抑制し、収益の安定化を図ることと、人が動くことで必要になる余計な支出をできる限り減らすことが必要だと思うからです。
もう一つは、賞与といった一時金をどう活用していくかを考えることです。コロナの影響やエネルギー価格、原材料価格等の高騰により圧縮された利益を取り戻して、人件費の財源が安定的に確保できるまで、定期昇給やベースアップではなく一時金を調整弁にして、柔軟に対応していくしかないと思います。
①経営層・管理職層・現場スタッフ間の意思疎通不足が招く離職ドミノ
今年4月から7月の4か月間に集中して現場スタッフが退職または退職予定となったという企業事例があります。その離職率を年率換算すると39.9%となり、同業種の年間平均離職率が14%程度であることを鑑みれば、約3倍という異常値になりました。さらに職種を絞り込むと、ある職種では年率換算で70%と、いつ組織が崩壊してもおかしくないような数値になっていました。
また、別の企業でも、ここ1年間で現場スタッフの離職率が20.4%になった企業事例もあります。
いずれの企業も給与に対する不満が原因で辞めたのかと思い、少し詳しく調べてみたところ、それが直接の原因ではなく「経営者・経営陣が考える会社の方向性や組織風土に対する疑問・不信感」「上司との相性の悪さ・上司のマネジメント力の欠如」「会社の将来への不安」が真の原因だったようです。それが全ての離職者の退職理由ではありませんが、一言でいえば「経営陣と現場の意思疎通不足による意識の食い違い」が離職に繋がった大きな原因と捉えています。
特に勤務歴の長いスタッフが相次いで辞めるということは、経営に問題があると考えざるを得ません。企業側の戦略的な離職促進だったとしても、あまりにも多くの離職者が短期間で出ることは、企業イメージの悪化に繋がるリスクが高まることや、どこも人手不足で採用が思い通りに進みにくい時代背景を考えると、簡単には補充ができず、人手不足が長期間続いてしまうリスクを覚悟したうえで進めなければならないことだと思います。

また、双方の企業とも労働集約型産業に属する業種であり「人が動いてナンボ」なので、従業員が減少することは収益の悪化に直結します。
さらに、離職によって減った人数分の仕事が、そのまま残ったスタッフの負担増に繋がってしまいます。
現場のスタッフからは「経営陣は、誰も自分のことばかりで、従業員や組織のことを考えている人はいない」という声も聞こえてくる等、経営陣よりも現場スタッフのほうが、現場に漂う疲弊感を感じ取って、離職ドミノはまだまだ続くのではないかと危機感を強めているようです。
こうした離職ドミノは、残った現場スタッフのエンゲージメントやモチベーションを下げるだけでなく、企業業績にも大きく影響しますので、事例として取り上げた企業も、業績が悪化して、とても賃上げどころではない厳しい状況に追い込まれているのではないかと心配になります。つまり、理不尽な理由による離職はできる限り抑制することで、賃上げ財源が確保できると思っています。

②賞与を払わないとスタッフが辞めるという経営者・経営陣の誤解
経営者のなかには「賞与を支給しないとスタッフが辞めるので、苦しくても支給する」と言われる方も少なくありません。また、逆に業績不振のため、賞与は支給できないと言われる経営者もそれなりにいらっしゃいます。賞与支給の規定があるのなら、可能な範囲での支給はするべきだと考えます。
ただ、業績を考慮せず、離職防止のためだけに、ムリして賞与を支払うことは、ツケの先送りに過ぎず、言い換えると会社の将来性に対する不安を助長させることになり、それを理由に離職する従業員も増える可能性が高まることも考えておくべきことだとは思います。

アメリカの臨床心理学者であるフレデリック・ハーズバーグが提唱した「衛生要因・動機付け要因」では、「給与」は「仕事の不満足に関わる要因=衛生要因」に分類されています。しかし、給与・賞与は、衛生要因ではなく、場合によっては動機付け要因になることも現場では起こり得ます。
攻めの賞与カットを決断した事例があります。企業再生のために、通常賞与の40%カットを実行したのです。当時の財務部門長は苦渋の決断でしたが、思い切った打ち手を打たなければ企業自体が潰れてしまうという瀬戸際に立たされており、それ以外に選択肢がなかったのです。機会ある毎に従業員に賞与カットの理由を説明し、支給日の前日には、具体的な賞与財源の金額までも伝える等、時間をかけて従業員の理解を求め続けました。
結果として、財務部門長に文句を言いに来た従業員は数名いましたが、それを理由に辞めた従業員は一人もいませんでした。
もう1つ、今度は守りの賞与増額を実施した事例です。長年続いたデフレ経済から急激なインフレ経済に180度方向転換したために、月例給与だけでは生活費を賄いきれず、業績給としての意味合いを持つ賞与でも生活費を補填するために、業績以上の異次元の増額支給を実施したのです。こちらのケースについても、従業員に対して事前に増額支給の目的を伝えました。賞与を貰った従業員の多くにとっては想定外の支給額だったようで、それまで見せたことがない満面の笑顔で、数多くの従業員が経営管理部門の責任者に御礼と仕事に対する決意表明を伝えに来ました。

「離職ドミノ」が起きてしまうと、収益の大幅な低下に加えて、退職手続きや人員補充のための採用手続きにかかる「後ろ向きの高額費用」が発生することになってしまいます。そんなことに無駄金を使うくらいなら、その分給与を上げたほうが、よっぽど「生き金」になります。
また、事例からも分かるとおり、賞与を支払っていても辞めるときは他の理由で辞めます。一方で、たとえ賞与が満額支払えなくても従業員エンゲージメントが高ければ辞めません。異次元の離職ドミノが発生した企業も賞与は規定どおりに支払っていたと聞いています。
経営者が「辞められたら困るから賞与を支払う」という考え方だと、従業員は貰って当たり前と思ってしまい、権利だけを主張するようになる危険性があります。しかし、経営者自身が、経営者の想いや感謝の気持ちを込めて、賞与を支払う目的を従業員にポジティブに伝えることができれば、従業員の協働意欲の向上に繋がります。つまり、給与や賞与は、衛生要因にも動機付け要因にもなるので「経営者は、常に従業員のことを思い、従業員のために、給与や賞与も何とかしてくれる」と従業員の信頼が得られるような活かし方ができれば、どんなピンチも経営者と一緒に乗り切り、チャンスに変えることができるのです。

 

賃上げは従業員との協働で実現できる?!
賃上げの財源確保に関する議論では、①価格転嫁、②生産性向上の2つが必ず取り上げられます。①は、経営者の意見にもあるようにそう簡単にはうまく転嫁できません。②は経営陣と従業員が共通の目標を持ち、一体となって取り組むことで改善を図ることができると思っています。
生産性向上といっても、何をどうすればよいのか分からない経営者の方もいらっしゃると思います。生産性を測る指標として「従業者一人当たりの労働生産性」を用いる方法があります。この指標は、付加価値を従業者数で除して計算します。どの数字を付加価値とみるかは、企業で決めればよいのです。例えば「売上高-売上原価-人件費以外の経費」とか・・・
こうして決めた計算方法で算出された数字をもとに目標値を定めて、その上昇分を賃上げ財源に回すことにすれば良いのです。従業員にとっても労働生産性を向上させることで自分たちの給与が上がると思えばホンキで意欲的に取り組んでくれるのではないでしょうか。
また、売上高と人件費のバランスに注目することも1つの指標になります。
大切なのは、目標を根拠のある数字で示すことです。経営陣も現場の従業員も納得できる共通の目的を設定することで、目的の達成に向けた意思疎通も円滑にできるようになると思います。経営陣と現場スタッフが一体となって生産性向上に取り組むことで実現の可能性が高まるといえます。
組織には「2:6:2の法則」が働くので、全従業員と最初から共通の目的を共有することは難しいかもしれませんが、少なくとも上位2割、中位6割に属する多くの従業員とベクトルを同じ方向に向けることから始めてみることが重要だと思います。

組織とは脆いものです。経営者の考え方一つによって良くも悪くもどうにでも、いとも簡単に変化するものなのです。組織を統率できていないとすぐにバラバラになります。
経営者や経営陣が「自利>利他」ではなく、「自利<利他」の精神に基づいた強いリーダーシップを発揮することができたら、従業員の生活を少しでも楽にする「賃上げ」にも繋がると思うのですが・・・

投稿者プロフィール

矢野 覚
矢野 覚
LINK財務経営研究所 代表 
1982年 4月 国民金融公庫入庫
1993年 4月 公益法人日本生産性本部経営コンサルタント養成講座派遣
2015年 3月 株式会社日本政策金融公庫退職
2015年10月 株式会社山口経営サポート(認定支援機関)入社
2019年12月 同社 退社
2020年 2月 LINK財務経営研究所 設立
2022年 5月 健康経営アドバイザー
2022年 7月 ドリームゲートアドバイザー
中小企業金融の現場で、33年間、政府系金融機関の担当者~支店長として事業資金融資の審査(与信判断)や企業再生支援、債権回収業務に従事するとともにそれに関する稟議書の起案・決裁に携わっていました。
その後、中小企業の財務責任者として資金調達、経営改善業務をお手伝いさせていただき、短期間で赤字体質の中小企業を黒字体質に改善するコトができました。
こうした経験を活かして、「財務の力でヒトとカイシャを元気にする」ために、小規模事業者・中小企業の皆さまのお役に立ちたいと考えています。

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