第23回 業界や組織の常識は世間の非常識?!

中小企業経営

「こんにちは、かんれき財務経営研究所の雄蕊覚蔵(おしべかくぞう)です!」第23回は、「業界や組織の常識は世間の非常識?!」と題して、雄蕊なりの「考え」を述べさせていただきます。

 

個人の価値観や権利意識が多様化、高度化し、ある意味、人や組織がバラバラな方向を向いている成熟化社会においては、向きの異なるベクトルをコントロールする必要があります。一方で、グローバル化が進み、世界標準、世界基準に照らしてモノゴトを考えることも重要になっています。鎖国状態のなかで一国だけが独自の進化を遂げようとしても日本のように少子化・超高齢化が進む社会では、マーケットの拡大も期待できず、衰退の一途を辿る危険性だってあると思います。
組織においては、きめ細かいルールを決め、統制を図る必要が生じてきます。雄蕊が属した組織においてもそういった観点から考えると在籍していた30数年間にガラリと変わりました。個人情報の管理等コンプライアンス、時間管理、ハラスメント…こうした外部環境の変化に適応していくことが組織防衛上からも不可欠なことです。

だとすれば、こうした時代を計る「常識」というモノサシはどういうモノなのかという疑問が湧いてきました。
このタイトルでブログを書こうと思ったもう1つの理由ですが、金融業界以外の業界の中小企業の経営に関わる中で「違和感」を感じることが多くなったからです。

これまで長く身を置いていた金融機関という組織の一員として雄蕊のなかに染み込んでいる「業界・組織の常識」とはかけ離れた「当たり前」が目の前で起きている。「そうか。『当たり前』は業界や組織によって違うんだ!」と改めて気付かされました。もともと「組織の常識は世間の非常識」であり、モノゴトを判断するモノサシは「世間の常識」も加味してしなければならないとは考えていたのですが…

 

《組織に属した以上、組織の常識に従うべき?》
TBS系で放映されたドラマ「半沢直樹」は大ヒット。「半沢直樹」を題材にしたブログ等の記事は、ネット上にも溢れています。雄蕊は、「半沢直樹」の舞台となっている金融業界に長く身を置いていたので、相通じるところが数多くあり、半沢直樹の発する台詞にも共感する言葉が溢れていました。
1982年、雄蕊は政府系金融機関に就職しました。最初に配属された支店の支店長は厳しい方で、新入職員の男性二人は、毎日定刻に退勤させてもらえず、支店長の仕事が終わるのを待って、支店長からレクチャーを受けることになっていました。
40年近く経った今でも、当時受けたレクチャーの中身について記憶に残っているものがいくつかあります。そのなかから2つ紹介します。「仕事をしていくうえで、判断に迷う場面が必ず起きる。そのときは、所属している組織にとって有利になる視点で判断しろ」、「これから給料を貰うが、給料の1割は、上司、先輩、同僚、後輩等とのコミュニケーションを図る場に充てろ」です。
当時は今と違って(?)職員にとって支店長は、「雲の上のような存在」だと(少なくとも雄蕊は)思っていましたので、この教えは組織の常識であり、支店長の言葉は絶対だと信じ、ずっと忘れないで、胸に秘めていました(実際の判断は自分なりの常識というモノサシで計っていましたが…)。

もともと金融業界に属する銀行等(政府系金融機関も含めて)は、一言で言えば「古典的かつ伝統的なザ・ジャパニーズカンパニー」です。
支店全体や課の飲み会等があった翌朝や休暇をとって翌日には、必ず直属の上司に「昨夜はお疲れ様でした」とか「お休みをいただきありがとうございました」と挨拶に行くのが当たり前のことですし、挨拶をしなければ「アイツは礼儀知らず」ということになってしまいます。また、バブルの頃は、「24時間働けますか」の世界で、朝早くから出勤して夜の10時まで働くことも当たり前でした。金融業界では、毎日、毎日それを続けて勤め上げる真面目な人がほとんどなのです。言葉を変えれば「滅私奉公が当たり前」の世界。働き方改革が叫ばれる今なら、「余計なことをさせるな」「負担をかけるな」「定刻に退勤させろ」ということになってしまいます。雄蕊も支店長時代に直属の上司からこういうニュアンスの言葉を何度も聞かされ、注意され続けました。
雄蕊としては、ポストに見合った人財を育てるためには、「負担をかけるつもりはないが、負荷は掛ける必要がある」という信念を持っていたので、納得がいかない面もありましたが、半沢直樹みたく組織を敵に回して戦うことは出来ませんでした。

2018年、財務省理財局による決裁文書改ざん問題が発生しました。財務省が国有地払い下げの経緯を記した文書を国会に提出した際、首相や首相夫人の関与が疑われかねない記述を削除していたのです。公文書改ざんの是非についてここでコメントするつもりはありませんが、何故、そんな問題が起きたのかについて、雄蕊なりの解釈を述べさせていただきます。
このニュースを始めて知ったとき、あり得るなと思いました。組織に属している以上、組織の常識に従うことは当たり前のことだという認識が雄蕊のなかにあるからです。
この例えが妥当かどうかわかりませんが、「脱税は罪になるが、節税は許容の範囲」的な発想があったのではないでしょうか。もしかしたら、財務省理財局のなかでは、こういった考え方が常識だったのかもしれません。近畿財務局には、命を懸けて抵抗した担当者の方もいらっしゃいました。その真の常識に基づいた決死の行動を無駄にすることは当然できません。当事者の方々は、それを公に認める訳にはいかないかもしれませんが、心の奥底にはそうした思いがきっとあるはずです。あることを祈念します。

《半沢直樹の名言にみる「常識」というモノサシ》
さて、話を「半沢直樹」に戻します。
半沢直樹が発した台詞の中で、最も印象深く残っているのが(一言一句正確ではありませんが)、次の台詞です。
「信念は三つある。正しいことを正しいと言えること。組織の常識と世間の常識が一致していること。ひたむきで誠実に働いた者がきちんと評価されること。そんな当たり前のことさえ、いまの組織はできていない。(それは)自分のためだけに仕事をしているからだ。」
何故、この台詞が一番印象に残ったかと言いますと、絶滅した(絶滅危惧?)と思われる社会通念上、誰もが納得できる常識を端的に表現しており、そのことを思い出させてくれる言葉だったからです。

半沢直樹が発した台詞のなかには、社会通念上、誰もが納得できる常識というモノサシの目盛り(ヒント)が溢れています。そこで、半沢直樹の台詞から「常識のモノサシ」に繋がるのではないかと思われる台詞を列記してみます。

仕事とは
●仕事は客のためにするもんだ。ひいては世の中のためにする。その大原則を忘れたとき、人は自分のためだけに仕事をするようになる。自分のためにした仕事は内向きで、卑屈で、身勝手な都合で醜く歪んでいく。そういう連中が増えれば、当然組織も腐っていく。組織が腐れば、世の中も腐る
●プレッシャーのない仕事なんかない。仕事に限らず、なんでもそうだ。嵐もあれば日照りもある。それを乗り越える力があってこそ、仕事は成立する
●仕事は与えられるもんじゃない。奪い取るもんだ
●俺たちの仕事は、人や会社の成長を願い、その手助けをすることだ。証券も、いや、どんな仕事も目指すところは同じはずだ。そこに勝ちも負けもない

モチベーション
●与えられた仕事に全力を尽くす。それがサラリーマン
●どんな世代でも、会社という組織にあぐらを掻いている奴は敵だ。内向きの発想で人事にうつつを抜かし、往々にして本来の目的を見失う。そういう奴らが会社を腐らせる
●いろんな奴がいる。それが世の中。そいつらから目を背けていては人生は切り拓けない。
●全ての働く人は、自分を必要とされる場所にいて、そこで活躍するのが一番幸せなんだ。会社の大小なんて関係がない。知名度も。オレたちが追求すべきは看板じゃなく、中味だ
●どんな場所であっても、また大銀行の看板を失っても輝く人材こそ本物だ。真に優秀な人材とはそういうものなんじゃないか
●忘れるな。大事なのは感謝と恩返しだ。その二つを忘れた未来はただの独りよがりの絵空事だ。これまでの出会いと出来事に感謝し、その恩返しのつもりで仕事をする。そうすれば必ず明るい未来が開けるはずだ。成功を祈る
●君たちの戦いは、この世界をきっとより良くしてくれるはずだ。どうかこれからは、胸を張って、プライドを持って、お客様のために働いてほしい
●人の暮らしを豊かにする。そのお手伝いをするのが我々金融業の使命のはず。私は最後まで自分の仕事を全うしてみせます
●あなたは現場の人間をネジだとおっしゃいましたね。たしかに一つひとつのネジは小さく非力ですが、間違った力に対しては精一杯、命がけで抵抗します

組織運営
●上が悪いからと腹を立てたところで、惨めになるのは自分だけだ
●組織に屈した人間に、決して組織は変えられない
●どんな小さな会社でも、あるいは自営業みたいな仕事であっても、自分の仕事にプライドを持てるかどうかが、一番重要なことだと思うんだ。好きな仕事に誇りを持ってやっていられれば、オレは幸せだと思う。
●世の中をはかなみ、文句を言ったりくさしてみたりする…でもそんなことは誰にだってできる。お前は知らないかもしれないが、いつの世にも、世の中に文句ばっかり言っている奴は、大勢いるんだ。だけど、果たしてそれに何の意味がある。例えばお前達が虐げられた世代なら(注:ロスジェネ世代)、どうすればそう言う世代が二度と出てこない様になるのか。その答えを探すべきなんじゃないのか。
●世の中に受け入れられるためには批判だけじゃだめだ。誰もが納得する答えが要る
●会社の都合を顧客に押し付けるな。顧客のために、あらゆる可能性を検討しろと言っているんだ
●今だけではない、未来を見据えるんだ
●倒産する会社は、社外の人に挨拶をしなくなっていく。会社に対する自信と誇りがなくなるからだ
●過去を正してこそ、未来は正しく開かれる。私は徹底的にやらせてもらいます

半沢直樹のように「原理原則と正義感に裏打ちされた自己の信念に基づき、誰に対してもイエスとノーを堂々と言える軸のブレナイ人間=真の常識人」は、正直稀有です。

ハラスメントが問題視されて減少はしていますが、部下に対しては横柄な態度で威張り散らし、上司に対してはイエスマンという利己的なサラリーマンが多いのも、それが組織にとっての常識と捉えられている以上、社会の現実であることは間違いありません。
こうした常識のもとで、権力を盾に理不尽な理屈を振り回して保身に走ったり、出世や利益確保のために不正や不当を働いたり、そうした実態を隠蔽してのさばっている輩がいることも事実でしょう。しかし、こうした傾向は、高学歴者が集まっている大企業に多いと思われます(あくまで雄蕊個人の意見ですが…)。現在関与している有資格専門家集団の中小企業では、あまり見られない現象です。また、出世すればするほど、人はこうした傾向に陥っていくと感じています。「ポストが人を作る」といわれますが、人間力という視点から捉えると負の側面があることも否めません。

半沢直樹の名台詞は、中小企業の経営者の事業に対する構え方にも応用できると思います。仕事を事業に置き換えたり、従業員のモチベーションの維持・向上という視点で捉えたり、組織運営に関する言葉はそのまま経営に活かせると思います。

半沢直樹のように、何者も恐れず立ち向かっていく姿は、フィクションの世界だから描けたことでしょうし、実際の銀行がそうなのかと言えば、誇張している面やあり得ないなという場面もありますが、「真の常識」だけは貫かれていると思います。

投稿者プロフィール

矢野 覚
矢野 覚
LINK財務経営研究所 代表 
1982年 4月 国民金融公庫入庫
1993年 4月 公益法人日本生産性本部経営コンサルタント養成講座派遣
2015年 3月 株式会社日本政策金融公庫退職
2015年10月 株式会社山口経営サポート(認定支援機関)入社
2019年12月 同社 退社
2020年 2月 LINK財務経営研究所 設立
2022年 5月 健康経営アドバイザー
2022年 7月 ドリームゲートアドバイザー
中小企業金融の現場で、33年間、政府系金融機関の担当者~支店長として事業資金融資の審査(与信判断)や企業再生支援、債権回収業務に従事するとともにそれに関する稟議書の起案・決裁に携わっていました。
その後、中小企業の財務責任者として資金調達、経営改善業務をお手伝いさせていただき、短期間で赤字体質の中小企業を黒字体質に改善するコトができました。
こうした経験を活かして、「財務の力でヒトとカイシャを元気にする」ために、小規模事業者・中小企業の皆さまのお役に立ちたいと考えています。

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