第93回 ~「合理と情理」そして「自利利他の精神」~企業は人なり(その1)

中小企業経営

「こんにちは、かんれき財務経営研究所の雄蕊覚蔵です!」第93回は「~「合理と情理」そして「自利利他の精神」~企業は人なり(その1)」と題して、人の心の動きや感情に焦点を当てて経営を考えてみます。このタイトルの投稿もシリーズ化して、今後、機会を見つけて継続していきます。「合理」と「情理」のそれぞれをテーマに、切り分けて投稿してみようと思っています。

これまで、このブログでも経営を計数面から捉えるだけではなく、経営者としての考え方・在り方や従業員に対するホスピタリティについても述べてきたつもりです。
今回はサブタイトルにある2つのキーワードを切り口にして雄蕊なりの意見を述べてみます。

 

合理と情理
不振が続く事業からの撤退は、企業を守るためには必要なことです。合理的に考えて撤退という意思決定を選択しなければなりません。
しかし、そこに従業員のリストラが絡むのならば、合理的な判断だけで進めて良いのかという疑問が生じてきます。経営上の意思決定は、合理性だけで突き詰める「正論」だけでなく、人の感情にも配慮した「曲論」も必要ではないかと思うようになりました。

まず「合理」と「情理」について考えてみます。
「合理」とは、論理を構築したり物事の構造を理解したりするといった「論理立てて物事を考えることができる力」のことです。一方、「情理」とは、場の状況を理解したり、人の感情を推察したりするといったコミュニケーションを円滑に行うために求められる「空気を読む力」のことです。この2つの力をバランスよく兼ね備えることが、経営者や管理職としての役割を果たすためには必要だと思います。

経営者の方と組織やスタッフについてお話しをさせていただく際に、確認することがあります。それは「もし今、あなたの会社が有事(危機)に直面したとしたら、何人の従業員スタッフが社長と一緒にこの難局を乗り切ろうとついてきてくれますか?」
このブログを読んでいただいている経営者や管理職の方は、何人のスタッフの顔が思い浮かびますか。
経営者等のリーダーは、部下である従業員スタッフと心と心の繋がりがなければ、苦しい状況に陥ったとき、一緒に歯を食いしばって乗り切ってくれないのではないでしょうか。

経営者等のリーダーは、経済合理性や客観的合理性に強いだけではうまくいきません。人間は、感情の生き物なので、人間性の本質を見抜く力と人間の情理にも強くなければならないのです。経営者等のリーダーは、この合理と情理の相反する2つを状況に応じて巧みに擦り合わせることによって、組織全体に大きなストレスをかけるような不振事業からの撤退や退職勧告、リストラといったタフな意思決定も行うことができるようになるのです。
経営者等のリーダーは、普段から自身の企業がどのような環境に置かれ、どのような状態にあるのかをしっかり認識しておくことが大切です。具体的には、現在が平時の状態にあるのか、有事の状態にあるのかということです。常日頃から、経営者等のリーダーは、合理と条理の両面を見据えて、状況に応じて臨機応変に対応しなければならないのです。つまり、平時には合理に裏づけされた情理のリーダーシップを、有事には情理に裏づけされた合理のリーダーシップを発揮することが大切なのです。もし誤って、平時に後者を、有事に前者を選択すると、どちらもスタッフを不幸にすることに繋がってしまいます。
情理が優先して情に流され過ぎてしまうと、判断の時期や中身を誤って軽症で済んだはずの課題が重症化し難件化することもあります。一方で、情に背を向けて合理にひたすら突っ走ってもうまくいきません。血も涙もない経営者、管理職だと現場スタッフとの信頼関係は一気に崩れ去ります。

実際に経営者が直面する本当の苦渋の決断というのは、そう単純なものではありません。その葛藤のなかでどう決断するかが問われることになるので、理屈や合理では超えられない意思決定が求められます。対象となるスタッフや関係する人、それぞれが抱く悲しみや苦悩と経営者等のリーダー自身が逃げずに対峙するしかないのです。情理から逃げても、合理から逃げても、リーダーとしての役割を果たすことは出来ないのです。
意思決定した対応策を実行する段においては、当事者の抱く感情を理解しなければこじれてしまいます。また、情に流されて妥協してしまえば目的は達成されません。「合理」と「情理」の両面を見据えて、経営者等のリーダーがその局面から逃げないことが何より大切なのです。
情に流されてはいけないのは勿論のことですが、情を理解していないと失敗します。合理と情理の狭間を理解してこそ組織や人を動かすことが出来るので、その原理原則が理解出来ない人には経営なんかできません。

こうした能力を身につけるためには、人生経験、特にリーダーとしてタフな修羅場を経験することが重要です。こうした能力は、経営者や管理者になったからといって突然身につくものではありません。むしろいきなり対峙する情理と合理の軋轢の巨大さ、溝の深さに圧倒され、そのストレスに押し潰されてしまうことになってしまうのです。
現場の担当者としては優秀だったスタッフが管理職になった途端にメンタル不調を訴えるケースも数多く見られます。主任や係長といったミドルリーダーの時代から、この狭間にどんどんはまり込み、自分なりの克服方法を見出していくしかないのです。
かつて、金融機関勤務時代に共に仕事をした部下達のなかで仕事が出来た者は、それまでのキャリアのなかで、修羅場、土壇場、正念場を潜り抜け、数多くのタフな経験を積み、そういった苦境を乗り越えてきた者が多かったと記憶しています。
情理と合理が最終的にぶつかり合うような局面では、全ての人がすっきり納得できる論理的な解はありません。だから、経営者等のリーダーは誰よりも真剣にその問題を考え尽くし、悩み抜いたうえで、最後は何とか折り合いをつけていくしかないのです。そこには経営者等リーダー自身の性格や個性、価値観、哲学も深く関わってきます。通り一遍の対処方法はないのです。各人各様、自分のマネジメントスタイルや自らのストレスとの付き合い方を構築していくしかありません。そのためには、とにかく苦しい場面から逃げないことです。経験を積み重ねて、自分なりの武器を活かしたリーダーシップやマネジメントスタイルを編み出すしかありません。

 

自利利他の精神
次に「自利利他の精神」について考えてみます。
自利利他という言葉をご存知ですか?
今から15年くらい前に公開された映画「不撓不屈」を見て、「自利利他」という言葉を知りました。当時、課長職に就いており、少々偉そうに聞こえるかもしれませんが、この言葉に感銘を受け「課としての業績を上げるためには、お客様にとっての「利」を最優先に考えなければならない。お客様にとってのメリットを最優先に考えたソリューションが大切だ」「課長は、支店長や次長ばかりを見て仕事をしてはいけない。部下の幸せを一番に考えるべきだ」この2つのことについて改めて自身を戒めた記憶があります。
確かにこの2つを意識することで業績も上がり、課内の雰囲気も良くなりました。
目先の数字ばかりを追いかけるのではなく、部下との信頼関係を築くことができれば、部下は当事者意識を持って主体的に動いてくれますし、その結果として数字という業績にも反映されるということを身につまされました。

さて本題、自利利他の意味について仏教辞典には、次のように記されています。
「自ら利益を得ることを「自利」、他人を利益することを「利他」といい、この両面を兼ね備えることが大乗仏教の理想とされる」
もっと分かりやすく解説すると、自利利他の利というのは幸せや喜びのことです。
「自利」は自分が幸せになること、「利他」は他人を幸せにすることです。
自利利他というのは、自分が幸せになると同時に、他人を幸せにするということです。

経営の現場の自利利他
よく儲からない、儲からないという経営者がいらっしゃいますが、それは、自分ばかり儲けようとしているからではないでしょうか。自分ばかりが儲けようとしても、そんな意識で経営していると儲けはみんな何処かへいってしまって儲けることが出来ません。それと反対に、他人を儲けさせようとすると自分のほうに儲けが回ってきます。これが自利利他です。

近江商人の三方よし
自利利他の例として、昔から近江商人の心がけの「三方よし」が有名です。「三方よし」とは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」ということです。
「売り手も喜び、買い手も喜び、社会貢献にもなる商売を心がけよ」ということです。売り手は自分のこと、買い手と世間は他人、これも自利利他です。

カリスマ経営者の自利利他
カリスマと称される経営者は総じて「自利利他を心がけている」といえます。

昭和のカリスマ経営者:松下幸之助氏の言葉
「商売というものは、本当は売る方も買う方も双方が喜び、双方が適正な利益を交換するという形でやらないと長続きしませんし、それは結局お互いのためにならないと思うからです」

平成のカリスマ経営者:稲盛和夫氏の言葉
「事業は「自利・利他」という関係でなければいけません。「自利」とは自分の利益、「利他」とは他人の利益です。
つまり「自利と利他」とは、自分が利益を得たいと思ってとる行動や行為は、同時に他人、相手側の利益にもつながっていなければならないということです。
自分が儲かれば相手も儲かる、それが真の商いなのです。
常に相手にも利益が得られるように考えること、利他の心、思いやりの心を持って事業を行うことが必要です」

要約すると以下のとおりでしょうか。
○自利と利他が両方満たされていないと、経営は長続きしないし、お互いのためにならない。
○自分の利益が相手の利益につながり、自分が儲かれば相手も儲かるのが真の商いだ。

海外の経営
海外の経営においても自利利他の精神は認知されているようです。
自利利他に関するWeb上の記事に以下のような事例が載っていました。

ウィンドウズのマイクロソフトでCEOを務めたスティーブ・バルマー氏は「自利利他」に深く共感し、マイクロソフトの社員大会で「自利利他の精神が大切だ」と言っていた。

成功者の習慣を分析したビジネス書『七つの習慣』でも、第4の習慣に「Win-Winを考える」というものがある。この「Win-Win」というのが自利利他のこと
自分も相手もいい関係になるように考える。
自分が負けて相手が勝つような取引は言うまでもなくしないが、自分が勝って相手が負けてもダメ。お互いにいい関係にならないなら取引しないほうがましである。

組織運営における自利利他
自利利他の考えに基づけば、経営者等のリーダーだけが幸せになろうとしてもダメなのです。従業員、現場のスタッフを幸せにすることで経営者等も幸せになることが出来るのです。
その意味では「経営者自身が幸せにならなければ、従業員等の他人を幸せにすることはできない」というのも間違いです。この考え方に従うと、経営者が幸せになるまでは従業員等の他人の幸せを考えなくなってしまいます。つまり、自己中心的な生き方になってしまうのです。このような考え方を「我利我利亡者(がりがりもうじゃ)」というそうです。
「我利」というのは、自分の幸せということ。「我利我利」ということは、自分の幸せばかりで、どこにも他人の幸せは出てきません。
私たち人間は、もともと欲深い心を持っているので、心に任せると我利我利亡者になってしまうそうです。自分の幸せしか考えない人は、他人から嫌われ、人もお金も離れていってしまうので、幸せになれるはずがありません。

経営者等のリーダーは、外部の取引先等だけではなく、内部の従業員、現場スタッフに対しても自利利他の精神を持たなければならないのです。

自分のことしか考えない人は苦しみ、他人の幸せを考える人が幸せになれることを分かりやすく教えられた「三尺三寸箸」という話が仏教辞典に載っていました。
非常に参考になると思ったので紹介させていただきます。

昔、ある所に、地獄と極楽の見学に出掛けた男がいました。最初に、地獄へ行ってみると、そこはちょうど昼食の時間でした。食卓の両側には、罪人たちが、ずらりと並んでいます。
「地獄のことだから、きっと粗末な食事に違いない」と思ってテーブルの上を見ると、なんと、豪華な料理が山盛りにならんでいます。
それなのに、罪人たちは、皆、ガリガリにやせこけている。「おかしいぞ」と思って、よく見ると、彼らの手には非常に長い箸が握られていました。恐らく1メートル以上もある長い箸でした。
罪人たちは、その長い箸を必死に動かして、ご馳走を自分の口へ入れようとするが、とても入りません。イライラして、怒りだす者もいる。それどころか、隣の人が箸でつまんだ料理を奪おうとして、醜い争いが始まったのです。次に、男は、極楽へ向かいました。夕食の時間らしく、極楽に往生した人たちが、食卓に仲良く座っていた。もちろん、料理は山海の珍味です。「極楽の人は、さすがに皆、ふくよかで、肌もつややかだな」と思いながら、ふと箸に目をやると。それは地獄と同じように1メートル以上もあるのです。
「いったい、地獄と極楽は、どこが違うのだろうか?」と疑問に思いながら、夕食が始まるのをじっと見ていると、その謎が解けました。極楽の住人は、長い箸でご馳走をはさむと、「どうぞ」と言って、自分の向こう側の人に食べさせ始めたのです。にっこりほほ笑む相手は、「ありがとうございました。今度は、お返ししますよ。あなたは、何がお好きですか」と、自分にも食べさせてくれました。男は、「なるほど、極楽へ行っている人は心掛けが違うわい」と言って感心したという話です。同じ食事を前にしながら、一方は、俺が俺がと先を争い傷つけあっています。もう片方は、相手を思いやり、相手から思いやられ、感謝しながら、互いに食事を楽しんでいます。地獄と極楽を見物した男は、「なるほど、地獄へ堕ちる人と極楽へ生まれる人は、心がけが正反対だ」と思って教訓にしたといいます。

 

経営者・管理者に必要な「合理と情理」そして「自利利他の精神」
このブログでも何度もお伝えしていることなのですが、経営資源のなかで最も大切なのは「人」です。モノやカネを動かすのは人です。数字やお金も自ら意思を持って動くわけではなく、やはり人がコントロールするものなのです。

何の客観的な合理性がないまま、経営者や管理者の好き嫌いといった感情だけで簡単に従業員を辞めさせようとしたり、配置転換しようとしたり、そんなある意味ブラックな企業も少なくないのかもしれません。
経営者一人が経営を切り盛りしているような小規模な企業ならばいざ知らず、ある程度の従業員が働いている企業でそういうことが横行されると、組織の中に不信感が生まれ、「明日は我が身」と従業員一人ひとりが、自身の安心・安全が担保されていないと感じ、保身に走るようになります。そうなると本来目を向けるべきお客様に対する意識が薄れてしまい、お客様の期待する事業活動が出来なくなるという懸念が大きくなります。
こうしたネガティブな情報は外部にも漏れやすいので、下手すれば企業価値の低下にも繋がりかねません。
また、経営者等の経営陣は、どうしてもフロント部門(直接部門)に目を向けがちになり、バックオフィス(間接部門)への目配りが疎かになりがちです。本来、攻撃と守備が一体となって初めて組織が機能するのに、フロント部門とバックオフィスの風通しが悪くなっている企業も散見されます。
特にバックオフィスの経理や会計を担当している部門では、数字やお金の日々の動きが見えるので、企業の経営状態を把握することが出来ます。経営者や経営陣の企業の経営状態への対応姿勢も分かるので、経営者や経営陣が的確な対応をしないと経営者や経営陣に対する経理・会計担当者の信頼性を損なうことにもなってしまいます。
「第52回 企業は人なり、人は心なり ~人に寄り添う真のリーダーシップ~」では、人間の本質を探ることの重要性、「第91回 経営戦略と事業計画~Xデー?事業計画が「絵に描いた餅」になる日~」では、「経営理念」⇒「経営戦略」⇒「経営計画」⇒「事業計画」⇒「行動計画」への落とし込みの必要性についてそれぞれコメントさせていただきました。
経営者・管理者としての考え方や意識の持ち方として少しでもご理解いただけるならば、「経営理念に示された企業としてのあるべき姿」の実現に向けた舵取りの重要度や従業員スタッフの心情やステークホルダーへの影響を考えた「経営者・管理者として持つべき品格」の必要度を認識して貰えるかもしれません。
経営者が持続可能な企業として経営を続けていくためには、合理的な判断、意思決定が最も重要なことですが、表裏一体で人の心の動きや感情にも配慮する「情理」も大切なのです。
「合理」と「情理」の匙加減、そして「自利利他の精神」を持つこと、それが「人に寄り添う心の経営」だと確信しています。

投稿者プロフィール

矢野 覚
矢野 覚
LINK財務経営研究所 代表 
1982年 4月 国民金融公庫入庫
1993年 4月 公益法人日本生産性本部経営コンサルタント養成講座派遣
2015年 3月 株式会社日本政策金融公庫退職
2015年10月 株式会社山口経営サポート(認定支援機関)入社
2019年12月 同社 退社
2020年 2月 LINK財務経営研究所 設立
2022年 5月 健康経営アドバイザー
2022年 7月 ドリームゲートアドバイザー
中小企業金融の現場で、33年間、政府系金融機関の担当者~支店長として事業資金融資の審査(与信判断)や企業再生支援、債権回収業務に従事するとともにそれに関する稟議書の起案・決裁に携わっていました。
その後、中小企業の財務責任者として資金調達、経営改善業務をお手伝いさせていただき、短期間で赤字体質の中小企業を黒字体質に改善するコトができました。
こうした経験を活かして、「財務の力でヒトとカイシャを元気にする」ために、小規模事業者・中小企業の皆さまのお役に立ちたいと考えています。

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