第101回 人的資本経営と従業員エンゲージメント~企業は人なり(その3)

中小企業経営

「こんにちは、かんれき財務経営研究所の雄蕊覚蔵です!」第101回は「中小企業の人的資本経営の実践と従業員エンゲージメント~企業は人なり(その3)」と題して、中小企業が人財を活かす人的資本経営を実践するうえで必要な従業員エンゲージメントを向上させる取り組みについて考えてみます。

 

雇用環境にパラダイムチェンジ
今年の春闘は、多くの大手企業で業種に拘わらず、労組の賃上げ要求に対して軒並み満額回答となりました。デフレ経済からインフレ経済へ経済環境が180度転換したことを鑑みれば、この歴史的な賃上げは肯ける結果だと思います。
一方、中小企業でも日本商工会議所の調べによると、およそ6割の企業が賃上げを予定しているようです。しかし、この調査には含まれていない数多くの中小企業では、新型コロナやウクライナ情勢等の外的要因によりエネルギー価格を始め、様々な物価高騰が収益を圧迫しており、どうやったら賃上げ原資を確保できるのだろうかと悩む経営者の方のほうが多いというのが現実ではないでしょうか。
政府も価格交渉が頻繁に行われている時期である9月と3月を「価格交渉促進月間」と定め、発注側企業と受注側企業の間での価格交渉及び価格転嫁を促進しています。言い尽くされた言葉ですが、経営者が、付加価値を高めて生産性をあげ続けることができる仕組みの構築に本気になって取り組まなければ賃上げ財源の確保はなかなか厳しいと思います。
その仕組みの構築に向けて、人的資本経営を取り入れることも1つの有用な施策だと考えます。

 

国が取り組む人的資本経営
国としても人財活用の重要性に対する課題認識のもと、「人的資本経営」の推進を支援しています。経済産業省のHPには以下のように書かれています(一部抜粋)。
「産業構造の急激な変化、少子高齢化や人生100年時代の到来、個人のキャリア観の変化等、企業を取り巻く環境は大きな変化を迎えており、企業は環境の変化に対応しながら、持続的に企業価値を高めていくために事業ポートフォリオの変化を見据えた人材ポートフォリオの構築やイノベーションや付加価値を生み出す人材の確保・育成、組織の構築など、経営戦略と適合的な人材戦略が重要になる」

すぐさま収益の増加に繋がる即効性はありませんが、長期的な視点に立って安定的な収益が確保できる仕組みを構築することは、経営「し続ける」うえでは必要なことであり、「人的資本経営」の実践にシフトチェンジすることも大切なのではないかと考えます。
中小企業においても国が推進している「人的資本経営」をできることから取り入れてみることが必要だと思います。

 

人的資本経営とは
人的資本経営とは、従業員が持つ知識や能力を「資本」とみなして投資の対象とし、持続的な企業価値の向上に繋げる新しい経営の在り方です。
外部環境の変化に対応し企業価値を高めるためには、人材を「投資対象の資本」として捉え、人材の価値を引き出す経営スタイルのことです。
これまで、「人材」は「人的資源」と捉えられ、人件費はコストとされてきました。つまり、「資源」と捉えると企業が既に有している経営するための「もの」であり、それは徐々に消費されていくものと考えられがちです。
一方、「人材」を「人的資本」として捉えると、それは「価値を生み出すもの」であり、人件費もコストではなく「投資」と考えれば価値創造に資するものとなります。
この新しい考え方の経営が浸透すれば、付加価値を高め、生産性をあげる仕組みに近づくことができると思っています。

 

従業員エンゲージメント
人的資本経営を実践するうえで最も重要だと考えるのは「従業員エンゲージメント」です。
「エンゲージメント」とは、「婚約、誓約、約束、契約」を意味する言葉で、従業員エンゲージメントは「個人と組織の成長の方向性が連動していて、互いに貢献し合える関係」という意味合いで使われています。

「今の仕事に満足していますか」「会社に忠誠心を感じていますか」という質問に対する日本企業の従業員の回答が、世界と比べてネガティブなものが多いという驚きの調査結果がありました。
ある会社の調査では、日本企業の従業員で「強くエンゲージしている」と答えた人の割合は約1割と、世界の中で最低であっただけではなく、「会社に反感をもっている」「コミットしていない」と答えた人が3割程度と他国よりはるかに多く、日本では従業員と企業との関係は思った以上に険悪です。さらに「自分の会社を信用するか」と言う問いに対して信用すると答えた割合はわずか4割と世界最低だったようです。

従業員エンゲージメントは生産性向上に結び付くという研究結果もあり、従業員エンゲージメント向上を重要な経営戦略の一つとして位置付ける企業が増えています。
その根底には「個人の成長や働きがいを高めることは、組織価値を高める」「組織の成長が個人の成長や働きがいを高める」という考え方があります。
従業員エンゲージメントが高い組織には、従業員一人ひとりが企業や組織を信頼し、自身と事業の成長に向けて意欲的に取り組むという特長があります。つまり、組織力が強まり、ひいては業績の向上が期待できるのです。

 

従業員エンゲージメントを構成する要素
従業員エンゲージメントは、以下の3要素によって構成されています。
1 ビジョン
企業と従業員個人のビジョンが合致したときに、従業員は情熱を持って働くことができます。

2 働きやすさ
働きやすい職場環境は従業員に心理的安定性をもたらします。自由に意見交換ができる企業風土、能力や個性を発揮しやすい組織文化という企業の側面だけでなく、従業員自身の周囲への貢献度、組織との適合性、仲間との連帯感等、疎外感や孤独感を感じない組織だと従業員が認識できればモチベーションは上がり、それが働きやすさに繋がります。

3 やりがい
成果の承認がやりがいに繋がります。成果とは数値化できる業績だけではなく、周囲からの評価等も含んでおり、これらの成功体験によって自信が持てて自己肯定感が高まり、存在価値を見出すことになるのです。

 

エンゲージメントを高めるための具体的なポイント
従業員エンゲージメントを高めるためには、具体的にどのように取り組めばよいのでしょうか。従業員エンゲージメントを向上させる施策を考えてみます。
1 企業理念・ビジョンの実践による浸透
企業として、理念やビジョンの実現に向けてどう取り組んでおり、その成果として、企業がどのくらい成長・発展しているのかを従業員一人ひとりが実感できることが大切です。いくら理念やビジョンを明示しても「絵に描いた餅」では従業員の共感も得られません。企業としての「顧客や社会に提供できる価値は何か」を明らかにして、それを実践していくことでしか、従業員からの共感は得られないのではないかと思います。企業の方向性を理解し、共感しているほど「企業に貢献したい」という想いは強くなります。

2 人的資本経営を視野に入れた経営戦略と連動した納得性の高い人事制度
人的資本経営の実践を視野に入れた経営戦略と人事戦略とを連動させた人事制度の構築が大切です。どういう人財が必要なのかという方向性を明確にして、それを反映させた公平性・納得性の高い人事制度が必要なのです。それには単に成果を評価するだけでなく「企業が求める人財としての到達度」や「成果に至るプロセス」を評価基準に加える等、企業独自の評価項目を工夫して制度を整える必要があります。そうした制度を構築することで従業員の仕事への積極性や意欲を高めることが可能になるのです。

3 「承認欲求」を満足させる承認・称賛の企業文化
従業員の「承認欲求」を満足させる環境ほど従業員の貢献意欲は高まります。
従業員に仕事を依頼する際に期待の言葉をかけたり、従業員の頑張りを「称賛」する「表彰制度」等を取り入れたりすること等により、従業員の働きがいや自尊心を高めることができるのです。

4 雑談と現場の課題にフォーカスしたコミュニケーションの活性化
経営陣や管理職と現場のスタッフが、どれだけ雑談を含めた対話の機会を持てているかがポイントになります。現場のスタッフ達は、思った以上に経営者や経営陣が自部署や従業員自身のことを意識してくれているかを気にしているものです。経営者や経営陣は、各部署の業績(実績)や課題を把握して、それを対話の材料にすることが大切です。各部署、従業員一人ひとりにしっかり目配りすることで、従業員に心理的安定性が担保されている組織だと認識して貰えると思います。また、コミュニケーション・ツールとして従業員同士が感謝の言葉を紙に書いて贈り合う「サンクスカード」や定期的「1on1ミーティング」の実施も有効だと思います。常に、上司や同僚との接点を感じさせることが、従業員の帰属意識の醸成に役立つのです。

5 管理職としての管理能力の向上
現場のスタッフが求めている経営者層や管理職層の理想像は「自分たちを見守ってくれる頼りになる唯一無二の存在」だと思います。時には、仏の心で鬼になって厳しく指導することも必要です。耳の痛いこともきちんと伝えることにより、その上司に対する信頼度も高まり、人事評価に関しても「正当に評価されている」と感じることができるのだと思います。
人的資本経営の実践においては、管理者の管理能力が重要なポイントになります。経営者、経営陣は管理職の管理能力を高めるための施策も重要課題と捉えて、目的を明確にしたうえで育成に取り組む必要があります。

6 ワーク・ライフ・バランス
従業員にとっては、自分や家族のための時間確保も大切です。効果的かつ効率的な業務の進め方を考えて、休日制度や勤務時間を見直す等、従業員のワーク・ライフ・バランスを考えなくてはなりません。心身ともに無理なく働ける職場をつくることは、従業員の組織に対する愛着を醸成する第一歩となります。

7 キャリア開発支援
人材を資本と捉えて経営に活かしていくためには、従業員の成長を支援するキャリア開発にも積極的に投資をしていく必要があります。OJTだけでなく、階層別態度研修等のOFF-JTを手厚くする、あるいは外部の研修に参加させる等、人材という資本の価値創造にも積極的に取り組む必要があります。

8 従業員の心と体の健康支援
「経営戦略」の1つとして捉えて「健康経営」を推進することが社会的にも重要な課題になっています。メンタルヘルスへの配慮、子育て支援、介護支援等、従業員本人の身体の健康だけでなく、家族の心と体の状態等、従業員一人ひとりの家庭の事情への配慮も必要です。従業員が健康面や家族のことで悩んでいるときこそ、心理的安定性が担保された組織であることが大切なのです。

 

人的資本経営の実践と従業員エンゲージメントの重要性
経営の本質とはいったい何なのかといえば、平成のカリスマ経営者である稲盛和夫氏の言葉「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」なのだと腹落ちしました。さらにドラッカーは、企業は顧客に貢献することで、社会にその存在意義が生まれると言っています。
これまで、経営では利益を上げることが最も大切だと思っていましたが、あくまで利益の役割は「業績悪化への備えであり、将来投資の費用であり、業績を見る指標である」、一言でいえば、経営を持続させるための手段・条件だと考えることが妥当だと思うようになりました。

持続可能性の高い経営を続けるためには、なにより優秀な人財が欠かせません。
企業が掲げる理念やビジョンに賛同しているエンゲージメントの高い従業員は、企業の目標や課題を自分事と捉えて、自発的、積極的な行動をとるようになります。それが業務のクオリティ向上に繋がり、顧客満足度をアップさせ、その結果として企業の業績の向上に資することになるのです。こうしたよい連鎖が生まれると、従業員同士の信頼関係が育まれ、些細なことでも言い合えるようになり、問題点を指摘し合い、大きなトラブルが起こる前、未然に防止することができるようになります。
こうした人財を増やすことで、付加価値の高いモノやサービスを提供することが可能になり、生産性が向上して、その結果、賃上げ財源の確保にも繋がるのです。
人財の流動性の活発化や人手不足が深刻な問題となっている現代社会においては、人財の確保が最重要課題です。一方で、優秀な人財ほど転職を考えたり、ヘッドハンティングされたりする可能性も高くなっています。

経営者や経営陣は、付加価値や生産性の向上に向けて、どのようにして人的資本経営に取り組むか、四次元思考力を最大限発揮して、先手、先手の打ち手を考え続けなければなりません。
侍ジャパンの栗山監督は、帰りの飛行機の中で一睡もせず、ずっと考え事をされていたそうです。「世界一にはなったけれど、あの時の作戦はあれで良かったのか、選手の起用法は正しかったのか」そうした振り返りをされていたとご本人がメディアの取材で応えておられました。
栗山監督のこの行動や言葉は「経営に正解はない」ということに通じると思います。たとえ足元で高収益が確保できていたとしても油断禁物です。もっと付加価値の高いモノやサービスを提供できる方法はないか、現場で何が起こっているのか、従業員のエンゲージメントは高水準で維持できているのか、自立し自律した人財の育成は進んでいるのか、常に様々な課題の現状把握とその対応策を考えて、考えて、考え抜いてよりよい意思決定をし、それを実行し続けることが不可欠なのです。

従業員の耳に心地よい夢や希望をコミットするだけでは、従業員は納得できません。従業員一人ひとりが、それぞれの五感で、企業の成長・発展、従業員自身の成長、心理的安定性を実感できない限り、人的資本経営や従業員エンゲージメントの向上は図れないのです。ここに掲げた施策等に目新しいことは何もなく、言い古されたことばかりです。そんなことは今さら言われなくとも分かっているけれど、実践できれば理想的だよねと考えるに留まるのか、実践しなければならないという信念を持って実行できるかが勝負の分岐点だと思います。

投稿者プロフィール

矢野 覚
矢野 覚
LINK財務経営研究所 代表 
1982年 4月 国民金融公庫入庫
1993年 4月 公益法人日本生産性本部経営コンサルタント養成講座派遣
2015年 3月 株式会社日本政策金融公庫退職
2015年10月 株式会社山口経営サポート(認定支援機関)入社
2019年12月 同社 退社
2020年 2月 LINK財務経営研究所 設立
2022年 5月 健康経営アドバイザー
2022年 7月 ドリームゲートアドバイザー
中小企業金融の現場で、33年間、政府系金融機関の担当者~支店長として事業資金融資の審査(与信判断)や企業再生支援、債権回収業務に従事するとともにそれに関する稟議書の起案・決裁に携わっていました。
その後、中小企業の財務責任者として資金調達、経営改善業務をお手伝いさせていただき、短期間で赤字体質の中小企業を黒字体質に改善するコトができました。
こうした経験を活かして、「財務の力でヒトとカイシャを元気にする」ために、小規模事業者・中小企業の皆さまのお役に立ちたいと考えています。

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